薬膳な共生ライフ

自分にとっての身近な癒しを日記にしてます。身近な生き物との共生…薬膳であり、癒しであり。そして、生きる糧となる。

手術…切腹された日と、その後のこと…その3

10月11日。

ーー入院8日目。手術翌日…

 

朝10時、担当の女医の先生が部屋にやってきました。

これでようやく、苦しかった鼻からの呼吸器を外してもらえ、足のマッサージ器も外されました。

 

「鼻に傷ができてるね。

瘡蓋(かさぶた)になってるか…」

 

取り外した後、看護婦さんが鼻の頭の、血の後を拭ってくれました。

 

「部屋でレントゲン撮るね。

術後の経過を診るから」

 

そして、部屋に機材が持ち込まれ…

移動式のレントゲン機具で、技師が2人…

機材と共に入って来ました。

 

「すぐ済むからね!」

技師さんが言うと、看護婦さんが慣れた様子で、身体の下に板を入れてきました。

 

早々と撮影が終わり、

…技師さんは、機材と共に去って行き…

 

女医の先生は…

 

「…水分摂ってないから、今日から飲んで構いません。飲むのは、水だけにしてください。

 

首にぶら下がっているのは、痛み止め…

そこから、首の管を通って腰に繋がって流しているからね。

 

左脇から出ている管は、癒着しないよう、血や膿を管を伝って袋に流してるから、抜かないように。

 

トイレも行かなくて大丈夫。

尿管に直接管が入っていて、こちらの袋に流れるようになってるからね。

 

それと、痛いだろうけど、今日から起きる練習をしよう!

お腹切ったばかりで、熱が高いけど、最初が肝心だからベッドから起きあがれるよう、少しの時間でも頑張って!」

 

…女医の先生が去ったあと、看護婦さんも、

 

「××さん、先生が言ってたように、少しの時間でもいいから、ベッドから起きようね!」

 

……簡単に言ってくれる。

お腹を切腹されて、横に向くことも至難の業であるのに…

まして、痛いだけでなく、熱があって吐き気が酷かったのである。

動いたら吐く…そんな状況でした。

 

 

……ふと、新撰組原田左之助を思い出した。

自ら切腹するとは…

 

あの時代、今のように薬はないのだから、暫くは過酷だったろうに…

 

そして、白虎隊のことを考え…

 

こういう時こそ、《會津魂》だ…(会津人ではないけど…)

会津の《什の掟》は、とても良い心構えで尊敬に値する…

 

今持つのは、武士道精神……葉隠精神だ。

 

ここは…先人に倣い…と、

 

考えていたところに、

母が手術の翌日であることから、早くに来てくれたのだ。

 

高熱で着ていたパジャマも汗でグッショリ濡れて気持ち悪かったのもあり、着替えるべく言われたことを実行しようと、起き上がることにしたのだった…

 

 

母も看護婦さんから、ベッドから起きれるように…そう聞いていたらしく、見守ってくれてました。

 

…まず、身体の向きを変え、極力お腹に力が入らないように時間を掛けて横を向き…

足をベッドの外に、少しずつ…ずらしていった…

足が床につくのを見計らい、腕の力で立ち上がる…

 

その瞬間!

血の気が引き、脂汗が一気に吹きだしました。

我慢できない吐き気がドッときて、貧血で倒れそうなところに、咄嗟に母が腕を掴んでくれたのでした。また自分でも同時に壁に手をつきました。

 

立ち上がった瞬間、看護婦さんが姿を現し、

 

「××さん…いきなり!?

ベッドから降りて立ってる!?

 

ベッドから起き上がって、座れるように…

って意味だったのに!もう立っちゃた!!」

 

そして、すぐに去って行きました。

 

…あとで判ったことでしたが、先生に報告に行ったのでした。

 

しかし、流石に…

自力での着替えは難しく…

点滴をしている状態で服を脱ぐのには、手助けが必要で…

助けてもらいながら、着替えを終えました。

 

…その日…それ以降において、

ベッドから起きようね!

と…言われることはありませんでした。

 

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近所に生えていたススキ…

 

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