薬膳な共生ライフ

自分にとっての身近な癒しを日記にしてます。身近な生き物との共生…薬膳であり、癒しであり。そして、生きる糧となる。

抗がん剤 闘病と、その果てに。…その3

職場を半年近く休職していたその間…

自分の貯蓄を切り崩して生活してました。

掛かった医療費も全て自分で支払いました。それ以外の生活費も。

 

保険に加入してたので保険金も入り、職場からの給料も、毎月半分の金額から、健康保険料、年金保険料、税金が引かれた金額が入ってきました。

 

失うもの。それ以外にも、

得るもの。があった訳です。

 

母は、年金生活者で…

母に金銭を頼ることは自分はしませんでした。

けども、吐き気が酷かった自分のために、食べられそうな食材を、色々と見繕って年金から買ってくれました。

 

ここでも、

温かな気持ち、金銭的なことなど…

沢山の手助けを得ていたのです。

 

つらい時期でも自分を見失うことがなければ、どんな時でも幸せ(救い)はある訳で…

 

 

 

抗がん剤の投薬が、全て終わった頃…

 

お見舞いに来てくれたご近所さんは、クローン病で亡くなりました。

 

自分は、もう長くない。

 

その言葉通りに居なくなりました。

 

借家の住人がひとり居なくなったことで、家を借りていた住人は、ウチを含め二軒となり…

大家さんは、

 

《借家を取り壊してアパートを建てたい。

立ち退きをお願いします。》

 

そう願いでました。

 

この時も、治療の後で良かった…

そう思いました。

 

ただ歳をとった母は、立て続けに色々とあり、疲れておりました。

 

 

 

当時、血液のガンで頼る人がいない。

 

そう言っていたステージⅣの知人に無償で住んでいなかった実家(田舎からは、働きに出られないので借家住まいで空けてました)をしばらく貸してあげました。お金もなく、住まいを維持することが出来なかったために。

この人は、長いこと都会で生活していた為に、田舎の常識を無視した生活をして、母の元には近隣住民からの苦情が入りました。

…家を出たあとには、台風の突風により屋根が飛び、隣の住宅に屋根が突き刺さる事件が起きて…

自然災害でしたが…

 

立て続けに迷惑を被った!

と隣の住人が酷く剣幕で…

 

この家を手放しました。

 

もちろん、屋根の修理をした後に…

更地にするにはお金が掛かり過ぎましたので。

 

海沿いの家で、家は古く値段も付かず、また土地も最近の地震津波などで買い手がつかないからと…

48坪ほどの土地と家は、300万円にもなりませんでした。

その家に残した家具等の処分費用等も掛かるということでしたので。

 

 

そして…

ステージⅣの血液のガンのその知人は、今も元気に生きております。

 

なので、ガンになったから…

 

と、自暴自棄にはならず、生きる希望を見失わないでください。

 

 

さらに、長いこと運転出来ず、放置されてた自動車は…

(バッテリーは、初期の段階で自分で外しておいたのですが…)

しばらくエンジンを温めるも音がなにやら怪しく、走らせた瞬間に、後部タイヤが地面を引きずりました。

後部タイヤが回らなかったのです。

 

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海の駅 九十九里のいわし

 

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闘病中…昔(子供時代)に見た、この時代劇が非常に見たくなり取り寄せたDVDです。

 

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